オッチャン鉄ちゃんの足のむくままタイトル
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旅めぐり脱線百話:A-017g列車

湖畔のたそがれ その⑦
ゆれる思い

no.030●13.12.03
メイン030写真
  ◎大津の街にたそがれが迫る。<京阪電鉄・石山坂本線 浜大津~三井寺(13.09.22撮影)>


 'モシモシ、お母さんよ。雄太にお見合いの話があるの。
次の土曜日に家に帰ってこれる?'

雄太の目にあの艶めかしい母の姿がうかんだ。
「わかったよ、お母さん」
携帯電話を切った雄太は同棲している朋美に
「母の具合が悪いんだ」
とウソをついた。しかし、そういいながらも何故か嬉しそうな雄太に、朋美は急に不機嫌になった。

土曜日の夜、雄太は大津の実家に着いた。
「ただいま!お母さん」
「お帰り雄太。急な話でごめんねぇ」

 母は大きな黒目がちな瞳をキラキラと輝かせてやさしく出迎えてくれた。いつ見ても若々しい母はスリムなからだを白いスラックスと、淡いブラウンのセーターに包み込み、二つの巨大な胸だけを大きく盛りあがらせていた。
 雄太はその場で母を抱きしめ、その胸に深く顔をうずめたい衝動にかられた。いっそ東京の彼女とわかれ、母とふたりで暮らしてもいいと、ふと雄太は思った。
「さっそくだけど雄太、ちょっと見てくれる、この写真…」
小さなテーブルに母がひろげたお見合い写真には、幼なじみの紀子が写っていた。
「小さいころにすぐ近くの公園で仲よく遊んだ紀子ちゃんよ。雄太のいいお嫁さんだと思わない。ねえ……」

 雄太は黙ったままだった。そして決心したように云うのだった。
「ねえ、お母さん。僕は小さいときからお母さんが大好きやった。
だからお母さんの喜ぶ顔が見たさにどんな事でも一生懸命にやった。
勉強もがんばったし、東京の大学にも入学できた。
結婚の相手も、お母さんの気にいる人にしようと思っていろんな人と付きあった。そやけど僕は、本当はお母さんが一番好きやった事が、ようやくわかったんや。…僕は、僕はもう結婚なんかせえへん。
…お母さん!僕はここで一生お母さんと、二人きりで暮らすんや!」

 雄太は力いっぱい母を抱きしめた。そしてその豊かに盛りあがった胸元に深々と顔をうずめ、ただ泣きじゃくるのだった。何時間も何時間も雄太はひと事もしゃべらずに、ただ、ただ、泣きじゃくるのだった。

 坂本線の最終電車がゴトン、ゴトンと音をたてて軌道を走りすぎた。
カラカラと乾いた落ち葉の音が風とともに遠くにはこばれていった。

……晩秋の大津の夜は、ただ静かに更けていくのであった。(終)




 大正元年、京津電気軌道は三条大橋(現・三条)~浜大津間を開通したが、大正14年、京阪電鉄と合併。京阪京津線となる。その後、平成9年に京都市営地下鉄・東西線の乗り入れ開始にともない、三条~御陵間を廃止。現在の路線は御陵~浜大津間となっている。
 一方、石山坂本線は昭和2年、琵琶湖鉄道汽船により石山寺~坂本間が全線開通。その後、昭和4年、京阪電鉄と合併し現在に至っている。

no.030_2
◎緑ゆたかな公園の横を走る列車。
<京阪電鉄・石山坂本線 浜大津~三井寺(04.08.01撮影)>

no.030_3
◎逢坂は、昔も今も交通の難所である。
<京阪電鉄・京津線 大谷~上栄町(04.10.03撮影)>

no.030_4
◎名神高速道路が、京津線の列車の上を大きく跨ぐ。
<京阪電鉄・京津線 大谷~上栄町(04.10.03撮影)>

no.030_5
◎国道1号線にそって、険しい山越えにむかう。
<京阪電鉄・京津線 大谷~上栄町(04.10.03撮影)>

  ◎この物語はフィクションであり、その内容は使用した写真の人物、建築物、
  施設等とは一切関係はありません。
  ◎京阪電気鉄道・石山坂本線・京津線(2004.08.04 ~2013.10.13撮影、Cr/08.07.04)


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