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第一章#2タイトル
第一章#2-1写真
 
ー昔からこういうお仕事をされようと思われていたのですか?
 
藤本   私は田舎で大きなってるもんやから。
 
ー田舎はどちらですか?
 
藤本   田舎は吉野ですねん。奈良県の。
私、こんなんやけど、昔、少年飛行兵で軍隊も行ってますねん。
 
ーあぁ、そうですかー。
 
藤本   一年半軍隊生活行ってて、帰ってきても大阪に働くとこない。
弟がわたしら小学校高等2年生の時、軍需工場働きにいくか、
それとも、長男やったら家で百姓させてもらうねんけども
次男以下はもうどっかへ行かなならん。

私らみたいなんは否応無しですよ。
先生が成績のエエモンから「お前ここ受け」言われたら
嫌言われへん。

最初海軍受けぇ言われて海軍行った。
ほしたら門の前で身長1メーター40無いもんはここから
帰ってくださいって名前も言われんと帰った。ハハハ。

願書はちゃんと出してありますねんで。
ほんだら陸軍の方が規格がうんと下がって
「藤本ほしたらここ受け」って、願書書いといたるから
ウチ帰ってお父さんに判子もうてこいって。
そんなんでしたよ。時代でしたからね。
イヤ言われへん。

一年半、上級生が全くおらん同級生ばっかりの学校生活やったからね。
そんなに殴られたりすることもなかったけど、
一人が怠けとったら全員の責任でね、ビンタ喰った事もあったし、
竹刀で叩かれた事もあったし。

一番チビやったんですよ。
ほんだら5、6人向こうまで来たら「チビ!もうええわ」って。
20人も30人も叩くから、叩く方も手が痛いですから。ハハハ

同期生の会合なんか行っても、背の一番高いヤツが
「お前エラいエエのぉ。俺なんか一番最初にドツカレてお前まで
回っていかへん。いっつも俺だけエラい目におおたわ」って
ハハハハ

そうやって帰ってきて働くとこないから家で百姓しておったんです。
私より四つ下に新制中学上がった弟がおったんですわ。
その弟のところへ切り子を坊さん(丁稚)から習えへんかって
話が来たんですよ。

「コップに絵書いてるとこで働かへんか」って言うたんで
コップに絵書いてるとこやったら、弟よりワタシの方が適してるって
言うたんですよ。
ワタシ、小学校時代に何も良く無かったけど、
図画工作が良かったんです。

ほんで、図画ででもねぇ小学校一年生時の先生好きやったから、
学校残って教えてもうたりして。
郡の秋の展覧会、県の展覧会とか…。
県は一回あったか無かったか。
郡の展覧会のときはよう褒美もろたんですよ。

絵好きやったさかい、その仕事に飛びついたんですわ。
「お前ウチにおれ、ワシが行く」って。ハハハハ
 
第一章2-2写真
 
藤本   もう二十歳ぐらいになっとったんやけど。
もういっぺん、軍隊行ったつもりでね、
がんばれば七、八年や十年たてば十分一人前になれるやろって。
弟さしおいて、ワタシが大阪に来たんですわ。

で、そこに八年間おって、そして独立させてもうた訳ですわ。
その後、切り子がだんだん…

要するに、コンピュータの入った自動の機械ができだして。
もう加工賃、毎年毎年上がっていってたんが、
上がらんようになってきたんです。
職人さん一人、坊さんも二人ほどおったんですけど、
これはもう機械にはやっぱり勝てないと。

足下の明るい間に、今やったら退職金もなんぼか出せれるけど、
このままじり貧で行ったら、加工賃は上がれへんわ、
あんたらの給料はストップしてしまう。
今の間にいいところがあったら探して行ってくれと。

早いこと、それをやったんでね。
まだまだ行くところがあったんです。
で早いこと家内と二人だけになったんです。
それが上手くいったんですね。
その少し前くらいから仕事の幅を広げるために、
サンドブラスト加工の機械を入れてました。
 
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